街の中には、市民に開放された場などの飲み屋から居酒屋などがあり、市民の憩いの場として、利用されていたようです。
発掘されたときには、当時の一日分の売上金が出てきたそうです。
他にも、男性用の娯楽施設などもあり、街全体が潤っていた様子が伺えました。
街の地中からは、銅製の水道管らしきものも発掘され、水を街全体に引いていた様子がわかります。
この時代に、これだけの技術を使い街を作ってきたのには、感心させられます。
この町には、まだまだいろいろなものがあります。
街の中には、市民に開放された場などの飲み屋から居酒屋などがあり、市民の憩いの場として、利用されていたようです。
発掘されたときには、当時の一日分の売上金が出てきたそうです。
他にも、男性用の娯楽施設などもあり、街全体が潤っていた様子が伺えました。
街の地中からは、銅製の水道管らしきものも発掘され、水を街全体に引いていた様子がわかります。
この時代に、これだけの技術を使い街を作ってきたのには、感心させられます。
この町には、まだまだいろいろなものがあります。
ポンペイの街には、公共の公衆浴場がありました。
中に入ると、汗お流すためのサウナの部屋がありこちらで汗を流して、奥に部屋に入ると大きな浴槽がある広い部屋があります。
その他にも、顔を洗うための大きな水瓶のような水をためるところもあり、かなり清潔感のある環境が作られていたようです。
浴場は、男性用と女性用が別々に設けられています。
女性用の方は、男性用に比べると、規模が小さく、作りもあまり凝っていなかったようです。
しかし、浴槽の洗い場には、綺麗な大理石の椅子が設置されているなど、内装はかなり清潔感のある作りになっていたようです。
テルメ通りとフォルトゥーナ通りとの間にカリゴラ門が立っています。
門の方からもう一方へと伸びているのは、メルクーリオ通りで、この通りを進むと市壁に突き当たり、そこには、防御用の塔が立っている。
塔の屋上テラスからは、ヴェスヴィオ山とラッターリ山地や海の風景を楽しむことが出来ます。
街並みを歩いていると、建物の入口にある壁に絵が描いてある家がありました。
これは、この家の表札で、絵を見てどんな家かを判断していたようです。
上の写真の家は、絵から判断すると左官屋さんだったようです。
この時代の人々は、時の代わりに絵を使いものを伝えていたようです。
発掘された中には、当時の植物や鳥などの様子が伺い知れる彫刻などが残されていました。
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アポロ神殿から馬車道を移動してしばらく歩くと、新たに神殿がありました。
ここの神殿は、ヴェスパシアヌスの守護神で、生け贄を捧げる神殿として建てられようで、中央の祭壇は生け贄を捧げる祭壇でした。
噴火の時は、まだ未完成で建築中だったようです。
街の中を歩いていると、残された壁には、フレスコ画の壁画があちらこちらに描かれている様子が伺われます。
街の景観などにも気を配っていたようすが感じられます。
食料品などの取引に使われた屋内市場マケルムがありました。
長方形の空間の周囲に屋根付きの部分があり、中央には12本の柱で支えられた丸い屋根のある、丸い小さな建物があったようです。
発掘されたポンペイの街の北側には、この町を飲み込んだヴェスヴィオ火山が、何事もなかったように雄大な姿を見せていました。
神殿のそばには、沢山の柱が上の部分を失い根本の一部だけを残した姿で並んでいます。
他にも、柱の一部を失い補強して当時の姿に戻されているものなどもありました。
修復された建造物を見ると、これだけのものを重機のない古代ローマ時代に人の手で作り上げた技術には、驚かされる思いを感じます。
神殿を中心として、街には人や馬車が通る道が東西南北に通っています。
馬車の通り道には、2本の溝が出来ており、馬車が何度も通った痕跡が伺えます。
要所要所に馬車止めも設置されていました。
丘の上に登ると、まず最初に幾つかの部屋に分かれて壁が残るところがあります。
ここは、神殿の近くなので、この町の権力者が居たところではないかと思われます。
このあたりは、壁だけが残されていました。
そこから奥に進むと、広々とした庭が現れて沢山の遺跡が残る街並みが姿を見せてくれました。
このような人の像が幾つか発掘され当時の姿のまま置かれています。
中には、噴火の影響をうけて、腕の部分がなくなっているものなどもあり、噴火による火山灰の凄さを感じさせられました。
ここにいると、古代ローマ時代にタイムスリップしてしまったような感覚に陥ってしまうようです。
ヴェスヴィオ山を背にして立つ神殿アポロの神のところには、高い柱が幾つも立っていて、ここがまさに街の中心であることを示しているようでした。
柱や壁には、彫り物や彫刻があしらわれており、当時の生活を垣間見ることが出来るようです。
ポンペイの街は、ナポリから30分程南下したところに位置して、カリブ島やアマルフィ海岸も比較的近くにあります。
ポンペイの北側に位置するヴェスヴィオ山の大噴火によって、79年に一瞬にして火山灰に覆われてしまい街全体が火山灰の下に眠ってしまいました。
1748年に発掘が開始され、1700年間封印されていた、古代都市が姿を鮮明によみがえらせたのです。
商業都市として栄えていたポンペイの街を見てゆきましょう。
この町には、当時の船着き場があったことから、海岸線が噴火後2㎞ほど西に延びたようです。
入口を入るとこの船着き場が出迎えてくれます。
その近くには、監視塔のような建物が建っているようです。
そこから階段を登り丘の上へと向かってゆくと、街の中心地と思われる広場のある宮殿のような建物が建つところが見えて参ります。
ローマに来て2日目を迎え、オプションツアーで、ポンペイに行くことにしました。
ローマからポンペイまでは、バスで3時間ほどの道のりです。
ローマを離れてしばらく走ると広々とした草原が広がる自然豊かな風景に出会うことが出来ます。
ポンペイへ向かう途中所々に、両側を木に囲われて古い街道があります。
この街道は、アッピオ街道で3世紀から現在も使われている街道で、すべての道はローマに通じると言われた街道で、延々とローマまで通じる街道を見ることが出来ます。
ローマを出て2時間半ナポリ近郊をかすめて通り、ヴェスヴィオ山の麓を抜けるといよいよポンペイに到着です。
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コロッセオからローマ市街を通りトレヴィの泉に向かいました。
トレビの泉に着いた頃には日も暮れてあたりは暗くなっていました。
このトレヴィの泉がある場所が、街の中心地にあり、カフェやショッピング街が並ぶ通りを抜けてゆくと突然目の前に人盛りがあり、その先に泉がありました。
トレヴィの泉は、思ったほど広くなくこぢんまりしていました。
この泉は、背を向けて肩越しにコインを1枚投げ入れるとローマに再訪が果たせるという伝説があり、2枚投げると恋人ができ、3枚投げると恋人と決別できるとも、結われているそうです。
映画ローマの休日でアン王女が長い髪を切った床屋が向かって右側にあったが、今は、他の店に変わっていました。
ローマで最大の大きさを誇るコンスタンティヌス凱旋門の近くでバスを降りると、25mの高さのある凱旋門が迎えてくれました。
この凱旋門は、コロッセオの西側にあり、 321年にたてられた歴史のある建造物です。
凱旋門を横切ると、コロッセオの円形の建物が見えてきました。
コロッセオは、古代ローマ最大の円形闘技場で、周囲527m・高さ48.5mあり、約5万人収容したといわれる巨大な円形闘技場です。
当時は、闘技や演劇などをはじめとする娯楽を提供していたそうです。
現在は、使われていませんが、コロッセオの2階部分にあるショップで、コロッセオにちなんだおみやげが売られています。